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2017.08.12 (Sat)

発表会と知らない曲の



  明日は夏の発表会の本番の日。


  またお盆の期間中と連休が重なったみたいで、もう8年以上も使い続けているおんぼろPCでネットを見るのがもの凄く辛い。


  何しろ、ずっと考え中みたいに頁が開かないからだ。


  さて相変わらず生徒の尻を叩くのに必死のように思われるのだが実のところ自分の頭の上の蝿も追えていない始末。


  生徒の動向に関してはほぼ全て自分の経験の中にあるものばかりだから、その辺を軸に原因から課題の出し方からあまり間違えない程度に指示できるのだけれど、いざ自分のことになれば相変わらず未知のことばかりで手の出しようがなくって途方に暮れる。


  例えば、初めて見る楽譜を元に生徒のレッスンをすると云うときの、言わば初見的な読み取り方で指導するときには、オーソドックスな手段で、例えば旋律の性格和声の連結の個性や、構造またはテクスチュアの指し示す内容から読み取れる物を中心に行ってそれはそれでそれほど的を外していないのだが。


  それが仮にソルのような名手の作品であれば少し読み取り方に違いが出る。


  つまり一見内容的にというか全体的にまとまりのない曲であってもあの人の全盛期の頃の作品ならば、違うことを考えて書いただろうな、何故かと云うと彼の練習曲にもある彼の十八番と言っても良いような技術の目白押しだから、並の演奏家が演奏したところでまったく面白みがない物が、あのソル先生が演奏したらもうなんと言い表していいのか分からないような空前絶後の~!至福の時間を堪能できたのではないか、と思える節がある。


  そうだとすれば、並の人間には手の余る。


  だから自分はビビる、と云うことにはたと気がつくと云うことになったりするものだ。


  演奏なんてのは初演ではほぼ誰でも初見的な演奏になり得るもので、それをいろんな可能性を模索しつついろいろな人がいろんなアプローチで演奏することでその作品の演奏の方向性が見え始めて、その中である名人が名演奏によって演奏のスタンダードを造ると云う行程を経て多くの人々に知れ渡ると云う過程を踏むように思われる。


  そのように時間をかけて演奏を練ると云う行程がなければ名曲は生まれないのだろうと思う。


  演奏家自体も時間をかけて己の技術を練ることでより洗練されて、他の追随を許さぬ高見に至る・・・なんてそれこそ物の本に書かれそうな歯の浮く文章が似合うような存在になっていくのだろう。


  ああ羨ましい。

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