fc2ブログ
2014年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

2014.06.12 (Thu)

見透かすのか、見通すのか

 前回のレッスンでちょっと生徒が弾いてみたいと云う曲がどんな感じなのかを知ろうとネット上に配信されている動画を検索してみた。

 目当ての曲は日本のポピュラー音楽で、アップされている数はもの凄く多いが、それらは殆ど素人と云っていいような人たちが僕には分からない理由で自分たちの演奏をアップしているようなものばかり。

 ちょっとがっかりしたが、気を取り直して最後にしようとある動画を再生してみた。

 それは特に派手に聴かせようとか考えていないように始まったが、それがとても聴かせてくれる演奏だった。

 静かに始まって、中だるみしないで続いて、いつしかサビに入って、と云う感じ。

 まず音がきれいで、それは彼が彼の持っている楽器の音を有効に使っている証だし、イントロで現れるメロディに歌心があって、きめ細かい表情に溢れていて、全体のフォルムがしゅっとしているからなんだろう。

 本当はもっと基礎になる部分でしっかりしているから、結局演奏の部分でごく当たり前に落ち着いて自分の息づかい、歌心としての歌が音楽から溢れてきているのかも知れない、と思ってみたりする。

 だから表面上だけ取り繕っても、表現と云うものはいろいろなものが呆気なく露呈する、実に恐ろしいものだとつくづく思う。

 それは別に音楽にのみ現れることではなく、すべての人間活動に現れちゃうんだろうなと思う。

 何故なら、表現とは、内にあるものが表に現れることを云うのだから。

 見る人が見れば、それらすべてが見える、と云うのは、その見える人に特別な能力があって人に見えないものが見えると云う場合もあるだろうが、それ以外の人が自分のことのみにかかずらってしまうために周囲のことに気を配ってよく見る余裕がないと云うことも多いのだろう。

 表に現れないものを見ると云うことを、見透かすと云うことがあって、その単語から受けるイメージにあまりよろしくない面があって、それは例えば腹を見透かされると云うような使い方がそれで。

 まあそう云うことをいい意味で使う場合には見通すなんて云うのかななんて思ったりする。
スポンサーサイト




いつもお越しくださって有難うございます。ブログ村参加して見ました。
お好きなところをクリックよろしくお願いいたします。
にほんブログ村 クラシックブログ 弦楽器へ にほんブログ村 音楽ブログ 音楽教室・音楽学習へ にほんブログ村 クラシックブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ


PVアクセスランキング にほんブログ村 松木幸夫的思考 - にほんブログ村

テーマ : つぶやき - ジャンル : 日記

09:30  |  楽器  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME |