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2013.07.25 (Thu)

言葉の限界でなくて

 例えば言語と云うものは、思ったことを過不足なく言うことができると思っているようなご陽気な人以外では書けることと書けないことがあると云うことをよく知っている。

 また話す内容によって、ある言語では割合と簡単に語ることができるけれど、違う言語では厄介である、と云うような言語に違いによる性格の違いを知っている人がいる。

 例えば、抽象的な話しを表しやすい言語と、情緒的な話しがしやすい言語があって、それだけのことを知るだけでも言語と云う機能は、すべてのことを語ることができないと云うことが分かるだろう。

 その限界点を考えたときウィトゲンシュタインは、語りえぬものについては沈黙しなければならないと云った。

 限界を考えればどんなものにもある。

 それは当たり前。

 しかしそういう考え方は、言語の、例えば単語の意味および概念が普遍的なものであると云う幻想によっていると思う。

 言語は、名詞、形容詞、接続詞などの役割を持つのだが、名詞だって接続詞だって厳密な意味を持っていると云うよりは、ある幅を持って関係性を持っている。

 だから我々人間の目の虹彩によって色の見え方が変わるものだから、例えば赤と云う色だって人それぞれで見え方が違うのだ。

 だから同じ色であっても見え方が変わる我々が使う言語にだって、意味が変わってくると云うことを我々は知らなければならないと思うのだ。

 デリダ的に云えば差延と云うべきか。

 ひとつひとつの名詞と助詞と動詞と接続詞にそれぞれの人が若干意味的にずれた使い方、読み方をするものだから、どんな簡単な文章であっても完全に同じ意味にとらえることができる文章は、ほぼあり得ないのではないか。

 僕はこれまで、言葉についてある程度のことを書いてきた。

 しかしその内容は、言語であっても、楽譜に書かれた音楽であっても同様のつもりで書いてきた。

 人それぞれによって、音の感じ方が違って、使い方が違っていて、それでもある程度の揺らぎを持って共有される世界が、言語だったり音楽だったりする。

 それは、何一つとして同じでない我々が発明した記号システムの持つ宿命的な正確だと思う。

 だから、すべてが分かり合えるなんてことはあり得ないと云うことだけが分かればよろしいと思う。

 だから人によって、言葉を戦略的に使う人がいれば、自分の憂さ晴らしだけのために使う人もいる。

 この言葉と云う単語を音楽に入れ替えてもある程度意味が通じるのは、曖昧な我々の言語の持つ性質のためであって、そのために思わぬ楽しい瞬間があったりする。
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