fc2ブログ
2013年01月 / 12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫02月

2013.01.20 (Sun)

アポリア

 例えば、いいものを作ろうと思えば、まずなにかの技術に長けていなければならない。

 例えば演奏家ならばそれぞれの楽器、絵描きならば筆使いや色使いなど、文筆家ならば言葉のそれぞれをきちんと使いこなせて初めて素晴らしい仕事ができるはずだろうと思う。

 言葉の定義が曖昧な人間に感情以外の込み入った話を叙述することは困難だろうと思うし、楽器がしっかりと使いこなせない演奏家は、何をしても自分色に作品を変えようとするだろう。

 自分の本心や理想と違ってしまう現実の原因が道具の使いこなし方の拙さに由来するならば、その技術を向上させようとするのはまったく理に叶った考え方だろう。

 いいもをの産み出そうと云う考えは、自分の技術に対すると同時に対象にも向かう。

 つまりどういう風に表現したら自分はいいと思うのか、と云うこと。

 華麗なテクニックで華やかな演奏をするのか、目先のきらびやかさには目も呉れず深く内面に迫るような重厚な演奏をするのか、そのどちらかを選ぶのは演奏者の個性によって変わるだろう。

 しかしそう云う前提は、どちらも表現の幅を狭くする。

 少し考えれば分かると思うけれど、禁欲的で静的な部分を華やかに演奏したり、表面的な華やかさを表すような部分を少しくすんで重厚な演奏にしようとするのは無理があるからだ。

 前提をすべて取り除くと云う前提で始まった思索の中に既にある前提が組み込まれていると云うのは、よくある話しであって、例えばフッサールの現象学に対するデリダの批判のように、前提に安住するのは危険なことだ。

 一切の前提とか、存在論とか、認識論とか振りかざす輩がすべてこの世から消えたとしても宇宙は今のままあり続けるだろうし、地球の激しく移り変わる環境などもそのまましばらくは続くことだろう。

 考えがあろうがなかろうが、肯定しようが否定しようが、あるものはあって、ないものはない。

 そんな堂々巡りのような時に、そんな先が見えないようなことを実感したときに基礎力の大切さを身に沁みたりすると思う。

 と云うことを生徒に云うと、彼は真顔で「何じゃこいつは!?」と云ってみたりする。
スポンサーサイト




いつもお越しくださって有難うございます。ブログ村参加して見ました。
お好きなところをクリックよろしくお願いいたします。
にほんブログ村 クラシックブログ 弦楽器へ にほんブログ村 音楽ブログ 音楽教室・音楽学習へ にほんブログ村 クラシックブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ


PVアクセスランキング にほんブログ村 松木幸夫的思考 - にほんブログ村

テーマ : つぶやき - ジャンル : 日記

12:00  |  楽器  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME |