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2012.05.12 (Sat)

面白く話すのは

 特になんと云うこともないある出来事を、とても面白く話す人がいるかと思えば、実に詰まらなく話す人や、稀に話すことに飽きて途中でやめてしまうような人がいる。

 話芸を生業とするような人であっても、大袈裟に話しをするだけで結局は大して面白みのない話しで終わる人や、自分の得意な話しの進み方になればある程度面白くなるような人がいる。

 だいたい何かを見た、そのままを発言する程度では何ら面白くも可笑しくもない話ししかできないのが殆どではないか。

 例えばしばらく前のこと、十字路で信号待ちしていると目の前には渋滞でほぼ交差点上で立ち往生している車があり、そこに多少前方不注意の車がブレーキをかけながらであっても止まり切れずに追突したという現場を見たことがある。

 その時僕が発したのは大凡、あー!、やべー!、わー!程度であった。

 で、それを誰かに話しをしようと思う段になって、その際に見た情景を思い出しながら、枝葉の部分を省いて多少は全体の構成を考えて話しを始めるはずである。

 曰く、こないだね、信号待ちしてたらね、目の前で車がぶつかったさー、がーん!てね、という具合に。

 これ以上話が長くなれば、僕は話すことに飽きてしまうからこの程度の分量が限界なのである。

 面白く話そうとすることと、面白くと云うと語弊があるだろうが、いい演奏をしよう、いい絵を描こう、と云う精神は何処か通ずるものがあるように思う。

 面白い音楽を書く人も、素晴らしい演奏をする人も例外なく面白くて個性的な人である。

 面白く話そうと思う人は多いだろう。

 面白く話すためには、面白く聞いてくれる人がいて初めて成り立つものである。

 例えば、ずっと一人でいるような人なら面白く話しをする必要などなく、結局まじやべぇ!程度で納得できるだろうからである。

 きちんと面白く話そうとする人の話を聞くことで、その人の面白く話す技術に磨きがかかって、本当に面白い話しができるようになるんだろうな、と思ったりしたのは、湯に浸かりながら読んだ大江健三郎氏のエッセイ「面白く話す」を読んでのことである。

 いい絵を描く、いい文を書く、いい演奏をする、それらはすべてきちんと聴き取ってくれる誰かが傍にいて初めて成り立つことなんだな、と思う。

 人は一人で生きていけないって、本当なんだなと思った。
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