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2012.03.11 (Sun)

刺激的な無味から

 音楽を演奏すると云う行為の下手から上手へと向かう方向は、無表情と云うか一本調子で平板なものから細やかに幾重にも変化する豊かな表情をもつものへと変化すると云うことと一致するだろう。

 細やかな表情は、誰にとっても分かりやすいと云うものではない。

 演奏の際の誰にでも分かること、つまり楽器の練習をしたことがない人でも分かることというのは、音を間違えたと云うことと、テンポが速いか遅いかと云うことである。

 また表情を細かく付けさえすればいいと云うような考えで、他の人がやらないような音色や強弱を使ったりして効果を狙ったりすることも多く、実際それは実に効果的である場合がある。

 或いは書いてあること以外のことを一切しない、つまり音楽を聴いていて楽譜がそのまま現れてくると云うような演奏をする人だっている。

 この場合の楽譜通りというのを、ただ楽譜に書かれた音をそのままなぞるだけの味気ない演奏とは全然別の範疇のもので、今云う楽譜通りというのは作曲家の意思をそのまま表現しようとする態度のことである。

 以上の演奏の聴衆への伝わりやすさというのは、聴衆をどういう人々として考えるかによって大きく変わるだろうが、音楽の経験のあるなしとは別に音楽に対して全く興味のない人にとっても何か大きな感動を与えるような演奏というのは、僕の考えでは余計なことを一切しないで作曲家の意思を伝えようとするような演奏のように思われるのである。

 ただ速いだけの演奏は、なんだかがちゃがちゃ弾いてるだけで詰まらないと云うような感想を与えるだけで終わりそうな気配がするし、そのような演奏を喜ぶ人は自分も同じ楽器を練習してとにかく早弾きをマスターしたいと思うような人ばかりだろうと想像する。

 誰にも気づかれないクレッシェンドなんて、とても難しい技術なんだけれども誰にも分からない程僅かなことなんだから、速い遅いだけで楽しむ人に感づかれることなどあり得ないのである。

 例えばジャンクフードのような濃くて刺激的な味付けに慣らした舌で、繊細な味付けの料理を食べても濃い味付けで舌が痺れてとても薄味を味わって楽しむことができなかったことがある。

 ある種類の音楽は、歌詞とアレンジと演奏の良し悪しを問わない、つまりきちんと聞かないから聞いていられると云うような、如何にも発声から音の歪ませ方からただ刺激だけを求めているような音楽であったりして実に居心地が悪かったりする。

 楽譜に書かれたものを、当たり前にきちんと読んで、それをできるだけ細やかに表現すると云うごく当たり前の態度は一見地味であるが、それは滋味に富んでいるだろうと思うのである。
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