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2011.12.13 (Tue)

美しい虹色

 朝、居間の一角を見ると机の上に載ったコピー用紙の上に一筋の見事な虹色が現れていた。

 携帯で写真を撮ってみると実物とはまったく違うがさつな色合いのものしか撮影されなかったけれど、その7色の、殊に紫色の美しさと云うのを僕の言葉の力ではとても書き表すことのできないものである。
rainbow1.jpg

 その虹を生み出したのは、太陽の光とテレビ台の上に置かれた透明なプラスチック製の三角柱であった。

 虹は数分後、太陽の位置が少し変わり雲がかかってきたところで静かに消えて
いった。

 ただ太陽の光がプリズムを通過してできたその光、その色の美しさは僅かな時間ではあっても我を忘れさせてくれるのに充分な存在であった。

 20世紀の音楽や美術を初めとした芸術作品は、プラトン的な、またはカント的な所謂道徳的な美しさの要素を排したものが多かったのだが、それらの中にはこれほどまで忘我の境地にさせてくれたものは殆どなかったかもしれない。

 例えば20世紀の音楽は素材としての音の純粋な美しさからではなく、イデオロギーから出発して作っているものがある。

 イデオロギーと云う足枷は、どちらかと云うと視野を狭くする働きをし、狭い視野で見えた狭い世界が世界の全体だと勘違いしやすいもので、それを理解しないのは理解しない方の問題であっていずれは正当に評価されると云う思い込みがあっただろう。

 調性から離れ音高音価強弱などの要素を音列技法によって構成するようなある意味がんじがらめの音楽や、綿密に構成された音楽への反動からか、演奏するたびに演奏の順番を変化させるような偶然性の音楽や果ては4分33秒のような無音の音楽など次第にパフォーマンス重視の作品も増えていったのは音楽の可能性を追求するあまりに迷い込んだ迷宮の中でただもがいているようにしか見えなかったりする。

 イデオロギーそのものはそれぞれの人が持つ観念体系と云っていいだろう。

 しかしそれだけから考え方を始めては、どんどん偏狭的で独善的な発想から抜け出すことができないものだ。

 例えば、こういう風に指を動かしたら、いい音が出るだろう。

 ギターはこう構えるのが正しい。

 こういう練習をすれば上手になれるはずだ。

 と云うような考え方に囚われると上手にならないどころか腱鞘炎のような病に冒されることになり兼ねない。

 だから弦を弾いて出てきた音を聴いて、それがどんな音なのかをしっかりと感じることが大切なのだ、と口を酸っぱくして云ってもまったく通じない人がいて。

 こういう喩え話はどうだろうと、彼女の言い分も聞かないで女はこういう食べ物が好きでこんなファッションが似合うんだと云う勝手な思い込みで付き合ってるようなものじゃない、なんて云ってみたりする。

 すると彼はすかさず「あんたはよく彼女がかくかくしかじかと云う喩え話を云うけ
ど、どれだけたくさんの人と付き合ったの?」と強烈なボディブローを浴びせてくる。

 危うく僕は意識を失いかけダウンをしそうになったが、そんなことはないよ!などと言い訳を、これは決していい訳じゃないけれど、何故だか知らないがしどろもどろになりながら虚しい話を続けることがあったりする。

 とにかく音を聴く、それは人の話を聞く、楽譜を読むと云うことと相通ずることで自分勝手な思い込みをしないことが大切なの!なんて云い張ってみたりするけれどやっぱり深いところで話が通じないのが実に心残りである。

 プリズムを通して現れた虹色の美しさ。

 今日はその美しさに改めて気づかされると云う忘我の一日だった。
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17:46  |  楽器  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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