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2011.03.17 (Thu)

できれば結末まで

 僕は飲み込みと物覚えがとても悪いので、他人よりも理解するまでに時間がかかる。

 だから多くの人が喜ぶような、つまり流行の先端にあるようなことに僕が同調することがないのである。

 理解力のない僕としては、そのものの理(ことわり)を知るまで誰がなんと言おうとも梃子でも動かない場合が多い。

 流行と云うのは、殊に現代の流行は、物の本質的な素晴らしさに共感した人が多くなり、それが世界に広がると云うような筋道を通ると云うよりも、「これが最新だ」とか「これが流行る」と云うような宣伝によるものか、またはそのときに人気のある有名人が身につけたり発言したり行動したりすることに対して多くの人々が追随すると云うような道筋をとるようである。

 それともうひとつは漠然とした不安感が多くの人を同じような行動に導くと云うことになることがある。

 その最近の例が、今回の地震を切っ掛けに起こった買いだめ、買い占めである。

 開店前から店先に並ぶ多くの人は、とても善良そうな顔をしていて、おそらく実際も善良な人々ばかりだろうし店に並ぶ理由は家族のために必要なものを買おうと云うごく当たり前の家族のことを第一に思うような心理である。

 しかしそのことが、自分達以外の社会に対してどういう働きをするのかと云うことに対して殆どまったく何も考えていないのである。

 おそらくそのような人のその時の世界は、ものがないと云う幻想の中の自分の家族とそれに準ずるもの達と云う程度のもの凄く狭い世界なのである。

 逆に多くの人々が募金をしようとしてあちらこちらでとても多くの募金が集まっていると云うことは、いい意味での流行である。

 しかし、募金をそのまま被災者に渡すことは懸命ではないのは云うまでもない。

 被災者は、金よりも、食べるものや、飲むもの、寝るときに必要なものであり、排泄をするために必要な便所であり、つまり生活に必要な「物」なのだ。

 募金は、その「物」を買うために集まるのだが、買い占めなどによって店から肝心の物がなくなれば、いったい何のために募金したのか、その募金の意味が薄くなってしまうのである。

 そのような人の中には、結局誰かのためにいいことをしたと云う自分の中で沸き上がる満足のためだけに何かをしている人だって少なからずいるように思われたならない。

 何かのためにと云う思いは素晴らしいけれど、それは発端である。

 その発端がどういう結末に至るのかと云うことまで、もう少し考えることができ
れば、もう少し自分の行いが、他人のためになるだろうな、と思う。
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