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2011.02.24 (Thu)

推敲する心持ちで柳に風

 何かの本の中に「添削」と「推敲」と云うふたつの単語を見付けた。

 このふたつは似ているようで違う。

 大雑把に似ているところは、どちらも直すと云う意味合いがあると云うことで
あって、それが添削では間違いを正すと云う意味の方に傾いているけれど、推敲の方はより良くするために練り直すろ云う意味合いが強そうである。と云うことに改めて気づいた。

 と云うか、このふたつの言葉は暫く僕の頭から消えていたと云っていい。

 目線としては、添削は直す側にあって、推敲は直される側にあるように思われる。

 直される側としては、間違いをあげつらうような直され方よりも、今よりもよくなるためには何をどう改善すればいいのか、と云う指導の方がありがたいに決まっている。

 だから我々教える側の人間として、添削的なやり方ではなく、推敲的なやり方で教わる人に接することが必要なのだろうと、そう云うことを書いてある本を目の前にして考えるのである。

 とは云え、どんな人に対してもそのような気持ち、相手の気持ちに立つような即ち推敲するような気持ちで接したいけれど、どうしてもできない人だって少なからずいるのも事実である、と思うのは僕自身の身勝手さの故である。

 相手によって添削的な気持ちで接したり、推敲的な気持ちで接したりすることは不器用な人間でなくともなかなかできないことだろうし、僕には不可能なことである。

 接し方や話し方は、その人のものの考え方を表している、と云える。

 相性のいい関係とはそう云う話し方接し方考え方の方向が似ている人同士の間でできあがるものかもしれない。

 相性のいい関係が出来上がれば、多少のことは問題なく進むことができるもので
ある。

 でもそうでない人との関係を如何に円滑にするかと云うのが今さらながら難しいと思うのである。

 我々は誰かと何かの交渉をしようと云うときに、できるだけ自分の土俵で行いたいと考えるものである。その方が自分でやりやすいからである。

 だから誰かと相対したときにどちらのどういう土俵で駆け引きをするのかと云う、それは柔道の組み手争いに似てなくもないだろうが、その瞬間が難しいのである。

 相手の土俵に引っ張り込まれれば、やり難い仕事をしなければならないし、それが限度を超えれば話しはご破算になるだろう。

 どんな相手でも力で押し返すのではなく、柳に風とばかりに柔らかく受け流すことが必要なんだろうな。

 右手のタッチはまったく力を入れないで柔らかく、と云うことの意味を僕は知っている。

 けれど、人間関係で力を入れずに柔らかく接する、と云うことは今ひとつ分からなかったりする。
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