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2011.02.13 (Sun)

慇懃で無礼で

 例えば楽器演奏を上手になりたくて、殊に楽譜に書かれたものを読み込んで演奏すると云うことを前提にしている楽器の演奏を上手になりたいと云う人は、楽器の習熟の他に楽譜を読むと云うことがどうしても必要になってくる。

 或いは外国語で書かれた本を読みたいと思って書店で買い求めて読めばよさそうなものだが、云うまでもなく外国語で書かれた本を読むためにはその言葉をある程度読めなければ目次すら読むことができないと云うことである。これに関しては外国語だけでなく古い日本語で書かれた本を読むときにも、当時の日本語で使う単語や用法を知っていなければ内容を把握することができない、と云うことでもある。

 絵画はその点文法や面倒な楽典を覚えるまでもなく見れば分かるのだから結構なものだと、思うかもしれないけれど何が描いているのかが分かればいいと云う程度の絵はせいぜい子供や素人の絵を見て「上手に描けてますねえ」と云われる程度の絵であって、それとは雲泥の差のある才能あふれる絵描きの一筆の意味を読み取ろうとするのは、やはり生易しいものではないだろう。故に、絵画の見方の本が多数出回ったり、展覧会では1枚ごとに解説文を用意すると云うことになるだろう。

 展覧会の解説文の如きものは、外国語で書かれた本で云えば日本語に翻訳したものと云うことになるだろうし、音楽に関して云えば例えばCDやDVDを併用して楽譜やしっかりとした教師に頼らないで難しい曲を弾けるようになるための教材と云うことになるだろう。

 更に、人生は短くやりたいことはたくさんあると云うような欲張りの人のためには、あらすじで読む文学やさりで覚える名曲など、ダイジェストと云う形で知ろうとすることになる。

 けれど、例えば中原中也の詩をダイジェストで読んで、ブルックナーの交響曲をさわりで聴いて、いったい何を知ろうと云うのだろうか。

 云うまでもなく詩なんてものは散文とは違ってたくさんの複雑な思いを韻律や形式に沿いつつ、使用する言葉が内包する意味を最大限に活用することによって、僅かな言葉で非常に多くの意味を伝えようとするような精神活動であって、表面的な意味を知ることが大切なのではないはずである。

 音楽はその美しい旋律が発生する過程が我々を魅了するのであって、例えばあるひとつの動機が現れて、それが違う高さで模倣されて、さらに別の声部で現れつつ転調を初め頭がくらくらするような動きの中で・・これに関しては特にブルックナーを意識して書いている訳じゃないけれど、そう云う長い時間をかけて存在する音楽をダイジェストで聴いてどうしようと云うのか、僕には分からないことである。

 とは云え、嗜好は人それぞれである。だから誰がどのように楽しもうと外部の人間である我々には何の文句のつけようもないのである。

 ところが、稀に難曲を演奏するために是非必要な技術を習得するための地味で厳しい練習を一切したくないけれど、そう云う曲を弾けるようになりたいと熱心に云う人が現れたりする。

 それは100メートルを駆け足できない人が、「エベレストに登りたい」と云うようなものであると僕は思うし、ものにはそれを達成するためにはできなければならないものが、言葉を変えれば権利を主張するためには果たさなければならない義務があると云うことを無視する態度のように思われてならないのだ。

 丁寧に自分の身の上を語り、音楽に対しての熱意を語るのだが、肝心の練習はしないし、我々の言葉を聞こうとはしないのである。

 彼らは、常に自分の言いたいことだけを相手に言うと云う一方通行の手段だけで生きているように思われる。

 僕にはそう云う彼らが慇懃無礼に見えて仕方がないのである。

 稀に「上手くなりたくない、自分の好きな曲だけを好きなように弾きたい」と云う人がいて、そう云う人を見ると何故かほっとしたりする。
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