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2010.07.10 (Sat)

知ってると思わないこと

 例えば、無人島で暮らす時にひとつだけ持って行きたいと思うものは何か、と云うようなあり得ない設問で、僕がその立場ならばベートーヴェンの後期ピアノソナタのCDを持って行く、と一時真剣に考えていた僕は、その真剣に考える少し前にはベートーヴェンが嫌いで、しかもその少し前にはクラシック音楽自体に興味がなかった。

 僕のクラシック音楽の導入は、もう何度か書いたかもしれないが、バッハ以前の音楽とシェーンベルク以降の所謂現代音楽、または前衛音楽であった。

 それは、考えなくともただ無心に聴くだけで楽しかったからである。

 その当時、僕にとってのベートーヴェンは、面倒くさい存在であり、曲の終わり方が未練たらしい人であった。ブラームスは、何がいいのかさっぱり分からなかった。ブルックナーに至っては存在そのものを知らなかった。

 オペラは、ミュージカル同様に見る気がしなかったし、弦楽四重奏は僕とは関係のない高級な音楽愛好家が楽しむ種類のものだと、確信していた。

 もしそのまま人生を過ごしていれば、僕は唯一知っているギターと云う楽器を通して知ることができる音楽の世界だけを聴きながら過ごして生涯を終えたことだろう。

 ところが、僕は得難い恩人知人友人と知り合うことができて、また有り難い書籍と音源の数々を見聞することができた。

 その度に、僕の狭い世界は広がっていった。例えば、ゴッホの絵を見たとしても、彼らと知り合う前と後では、まったく違う風に見えるだろうし、ある種の本を読む前と後では音楽の聴き方が変わった。

 そんな風に刺激的に生活して、普段見慣れた楽譜を眺めてみると、それまでの経験、つまり演奏会で聴いたりそれまで自分で弾いてみたりしたものとは明らかに違う姿が見えてくる場合がある。

 ギターの楽譜に限らないけれど、出版をする際に誤植や、作曲者の意図とは違う記号を書き込んでみたりと云うような、さまざまな間違いが存在することは云うまでもないことである。

 だが、一見変な書き方の楽譜の変な部分のすべてが間違っている、と思わないようにして、生まれて始めて見ると云うような心境で、眺めてみると、なかなか興味深い発見があったりするものである。

 勿論、その発見した内容をすぐに演奏できるはずがない。

 何故なら、その発想記号や、音の動きは一般的に滅茶苦茶難しいからである。

 つまりそれは、例えば初演した人が、演奏不可能と判断した部分を確実に演奏できるように修正して出版したのかもしれないのである。或いは、まったく未知の世界、例えばパリ万博の頃にヨーロッパ人が日本の絵画や音楽を、見聴きした人が彼らの世界観で理解しようと絵を模写し、音楽を採譜したとする。

 その採譜した楽譜を日本を知らない当時のヨーロッパ人が演奏しようとしたとする。

 おそらくその楽譜には、拍節はおろか、ハーモニーや形式すら見抜けないだろう。そのような彼が演奏しようとすれば、彼の常識及び良識で判断した範囲内で演奏することになるだろう。

 さらにまた、その演奏をエキゾチックな演奏だと当時のヨーロッパ人は感じたことだろう。しかも評価は高いかもしれない。

 今日僕は何を書きたいのだろうか。

 それは、世に出回っている常識は、確信ではないかも知れないと云うことを云いたいからである。

 つまり思い込むな、と云うことである。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

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