fc2ブログ
2010年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

2010.06.08 (Tue)

批判も解釈も

 最近見た映画の中で、ある非常識な問題で悩む学者が、ある専門家に胸の内を語る
シーンがあった。

 そのシーンでは、話しを聞いた専門家は、突拍子のない打ち明け話に対して、批判や解釈を一切加えずに最後までただ学者の話しを聞き続けたと云うナレーションが流れていた。

 僕は今、映画について書こうとも、そのシーンについて書こうとも思わない。

 ただ「批判」も「解釈」もしないで最後まで相手のすべてを受け入れたと云うことの素晴らしさを書きたいと思った。

 我々は、何かと相対したとき、それがなんであれ、できるだけ自分の土俵でものを考えて、判断しようとする傾向にある。

 自分の土俵とは、常識であり、論理であり、倫理その他諸々の知識の、または体力の総体である。

 我々は、どんなに客観的に物事を判断しようと苦心しても、結局は自分の観念と分析的な方法と良識の範囲内でしか考えることができない。

 だから仮に常識を遥かに超えた意味不明の理解不能の悩みを、何の批判も解釈も交えずに聞くことは、少なくとも僕にとっては不可能なことである。

 僕は、理解不能な悩みについて考えようとしているのではなく、例えば理解できない本や楽譜や美術と相対したときの心構えを考えようとしているのである。

 何かに対峙したときには、まず我々の固定観念などに蓋をして、相手の云うことに耳を傾けることが大切だと云うことである。

 それが、理解できることでも理解できないことだとしても、少なくとも一度はただひたすら相手の意見を聞くと云うことが大切なことであるだろう、と思う。

 こんなことを書けば、なんだかカウンセリングのことを書いているような気がしてしまうが、そうではなく、例えば知らない曲の楽譜や未知の人の人の書いた文章や話しを読んだり聞いたりするときに必要な態度のように思われるのである。

 何故なら、自分の中に批判精神や解釈を持ってしまっては、初見の段階からものごとを歪めて見てしまう可能性がもの凄く高いからである。

 歪んでものをる態度から、正しい答えを得ることなどできようはずがないのである。

 だから一度は批判も解釈もしないと云う態度を持つことは大切なことであるだろう
と、僕は考える。
スポンサーサイト




いつもお越しくださって有難うございます。ブログ村参加して見ました。
お好きなところをクリックよろしくお願いいたします。
にほんブログ村 クラシックブログ 弦楽器へ にほんブログ村 音楽ブログ 音楽教室・音楽学習へ にほんブログ村 クラシックブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ


PVアクセスランキング にほんブログ村 松木幸夫的思考 - にほんブログ村

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

12:20  |  身体  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME |