fc2ブログ
2010年04月 / 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

2010.04.06 (Tue)

相手を聴くこと



 自分で選んだCDを聴いていると、当たり前のようにとても安心しながら演奏を楽しむことができるけれど、レコード店やその他の空間にいるときに突然聴こえてきた演奏の演奏している人がいったい誰なのかと云うことが気になると、なんとも居心地の悪く微妙な気分になるものである。

 だからと云って誰彼構わずに「これは誰が弾いてるの?」などと訊くのも憚られるのだから、いろいろと考え始めることになる。

 それはタッチの善し悪し、テンポの取り方や、和音の響かせ方、テンポの揺らし方や、全体の構成の仕方などさまざまな部分を必死に聴き分けようとするのである。

 この単旋律の部分はなんでこんなに痩せて聴こえるのに、和音の連続はなんだか垂れ流し状態なんだろう。盛り上げ方もなんだか向こう見ずだし、そのわりに歌わせ方はねちっこいなあ、などなどと分析しながら「多分この演奏はこの人だ」と候補者を絞ってから何気なく尋ねてみると、見事に当たることは少なく、圧倒的に僕の想像は外れることが多い。

 例えば、最近小沢征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの演奏でバッハの「マタイ受難曲」を聴いた。

 僕の愛聴盤はレオンハルト指揮ラ・プティット・バンドの演奏であり、そのふたつの演奏の違いに関してはある程度の違いは分かるし、それ以前に聴いたまるでワーグナーのような演奏をしたメンゲルベルクの演奏についても確かに区別はつく。だけど、ブリュッヘンの演奏や、コープマンとの演奏との本質的な違い、勿論歌い手の声質や装飾の付け方のような違いの区別ではなく指揮者のその曲に対するアプローチの違いを正確に聴き分けるほど注意していないと云うことだろう。

 その演奏がいいのか悪いのか、と云う区別はある程度の経験で分かるものである。それは好き嫌いと云う感覚の延長線上にあるだろうからである。

 だが、それが何故いいのか、或いは悪いのかは、演奏者が何を云いたくて、何を表現したくてそのような演奏をしたのか、またそれを実現するために彼ら自らに何を課して練習したのか、と云うところまで聴き取ることが肝要なのだろう。

 その態度は、相手の云うことや誰かの書いたものを読むときにも同様で、上っ面だけ知ればいいと云うだけではなく、彼の本心を知ろうと云う気持ちが必要だと云う教訓を久しぶりに感じることになった。

.
スポンサーサイト




いつもお越しくださって有難うございます。ブログ村参加して見ました。
お好きなところをクリックよろしくお願いいたします。
にほんブログ村 クラシックブログ 弦楽器へ にほんブログ村 音楽ブログ 音楽教室・音楽学習へ にほんブログ村 クラシックブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ


PVアクセスランキング にほんブログ村 松木幸夫的思考 - にほんブログ村

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

13:15  |  レッスン  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
 | HOME |