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2010.04.30 (Fri)

駄目な暇つぶし

 例えばある作曲家の初期から晩年に至る作品群を大雑把に頭の中で巡らせてみると、勿論、頭の中でと云うことは僕が知っている範疇でのことだからその作曲家の仕事の全貌を考えると云うことは当然できないことであるが、少なくとも僕にとってその作曲家の生涯がある程度見渡せることができる、と思えることがある。

 例えば、子供の頃に天才少年としてデビューさせられ、数々の舞台で舌を巻くほどの名演奏を披露して、大人になると演奏会の他に教師として、また本格的に作曲家としての仕事を充実させていくようになる。教師としては良くも悪くも人間関係のしがらみを経験して、作品の制作では自分の思いと聴衆の受けとのあいだに起こるズレに悩みながらも、さまざまな技法を身につけて社会的な評価を得るような仕事を続け、ついにある時期から自分の思うがままの作品を、それはもう聴衆の評価を意に介さないような態度での仕事に没頭して生涯を終わると云うような。

 或いは、子供の頃から音楽的才能を持っていると云うことを周囲の人が気がついてもてはやし、それを自覚した彼自身が時代の寵児として社交界で華やかな生活をしているうちに、自分の才能の枯渇に気がつき、過去の栄光に縋りながら生きるような人、彼がもの凄い才能を持っていればある程度の利息で幸せな人生を送れるだろうが、そうでない人は少しずつ淋しい不遇の人生を送るような人が少なからずいると云うようなこと
も、あながち僕の妄想だけ、とは限らないだろうか。

 不遇の人生であろうと、順風満帆な人生の終末であろうと、晩年の彼らに共通するのは、世間の評価ではなく、彼の、彼自身に正直に生きると云うことである。否、言葉を変えれば社会人として世間との折り合いを考えると云うようなことを考えるよりもむしろ自分のやりたいこと、言いたいこと、それが自分の思想と相反するとしても、自分のやりたいことをやると云う、ある意味子供のような自分勝手な時間を過ごすような自由な人生の謳歌である。

 仮に不遇の晩年を送る彼が、まさにそれまでの人生で本質的に打ちのめされていれ
ば、おそらく彼は駄目な晩年を送ることだろうが、それだからと云って彼がもの凄く不幸であるとは云いきれないかもしれない。

 不幸の晩年は、おそらく才能豊かで出世欲に満ちた彼の若かりし頃とは想像もできないくらいに貧しく悲惨なものかもしれない。だが、周囲の見る所による苦しくて惨めな晩年の生活が、実は彼にとってもの凄く心地の良い環境である、と云うことにもしかしたら気がついているかもしれない。

 それはそれまでの彼は、自分の本性よりも社会性を重要視した立派な社会人として社交界で生きたきたが故に勝ち取った名声かもしれないが、それはあくまでも仮の姿であって、彼自身としては常にその姿に違和感を持っていた。それがあるとき、何かのたがが外れたような気分になって、なり振りかまわず自分の好き勝手に生きようと考えた。

 その代償は、惨めな晩年である。が、それもまた悪くはないだろう。その方が、気疲れしなくてもいいから、なんて思う人がいないとは限らないだろう。

 それが健康状態の悪い人ならば、惨めな晩年を送る前にあちらの世界に行っちゃうのかもしれないが。

 なんてことを考えたりして、僕は暇をつぶしたりする。

 なんてことは、ない。
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