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2010.04.28 (Wed)

クライスレリアーナ

 いろいろな音楽を聴いていると、初めて聴いた瞬間から妙にしっくりと馴染むものがあるかと思えば、何度聴いてもなんだかまったく馴染めないと云うか、取り付く島がないと云うべきか、居心地が悪いと云うか、とにかく聴き続けることができない曲、或いは作曲家がいる。

 それが、僕と彼の作曲家とのあいだに何の接点もなければそれまでのことであるが、彼の曲耳にする機会が多く、またいくつかの曲を僕が気に入っているような、できればお気に入りの作曲家として意識したいと思うような人の場合に僕は困ってしまうのである。

 作曲家の場合で云えば、例えばシューマンがそうである。

 シューマンとの出会いは、おそらくさまざまな編成やピアノで演奏されたトロイメライだろうと思われる。この曲について僕は長いことポンセのエストレリータと混同していた。トロイメライはそのときの僕にとってはそんな存在だったのかもしれない。

 その後「詩人の恋」をヴンダーリッヒの演奏で聴くに及び僕の頭の中でシューマンの存在はとても大きいものになった。だが彼の交響曲や、いくつかのピアノ曲に関しては相変わらず馴染めないままであった。だからと云って彼のいない世界に行こうとも思われず、なんとも微妙でもどかしい存在のままであった。

 それが今日ポリーニの演奏するクライスレリアーナを聴いたときに何かが変わった。つまり僕とクライスレリアーナとのあいだに一体感があった、と云えるような何かが生まれたように思われたのだ。

 それは僕がシューマンを理解したからと云うより、僕の気持ちの浮き沈みとクライスレリアーナの気持ちの揺れが一致したから、なのかもしれないけれど。

 なんだか分からないけれどもやもやした晴れない気持ちのような、くよくよと考え過ぎて放心状態または思考停止のようになったような、それでもシューベルトのように内に籠らず陽気になってみたり、それでも・・・と云うようなめまぐるしく移り行く心の動きが、それが彼が考えたことなのか僕が勝手に想像したものなのか分からないが、妙にリアルに感じられたのである。

 僕が感じたシューマンが、果たして本当のシューマンの姿なのか、と云うことに関してはまったく自信はない。

 だが間違っていたとしても、僕とシューマンとのあいだに何らかのとっかかりができたのは確かである。だからこの胡散臭い確かさを足がかりにして、これから僕は彼を理解していくのだろうと、思う。

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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

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