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2010.03.31 (Wed)

どう演奏すれば

 いったいどんな風に演奏すればいいのかさっぱり分からない人。

 そもそもどんな風に演奏すればいいのか、の「いい」の言葉に、その問いを発する人はいったいどういう意味を持たせているのだろうか。

 それが師匠から丸を貰うと云う程度の意味なのか、仲間に「上手だね」と云ってもらえる程度なのか、某かのコンペティションで幾ばくかの結果を残す、と云う程度の意味なのかによって「いい」の内容は変わってくるだろう。

 師匠が丸を与えるためには、ミスのない演奏をすると云うことの他に、その曲を演奏する際に注意知るべきいくつかのポイントで及第点をとることで次の曲に移行することができるだろう。また、とても優しい師匠は、生徒が弾けようが弾けまいが、彼のさじ加減ひとつで「丸!」と言いながらあっという間に褒めてくれて生徒に達成感を持たせることができるだろうが。

 仲間に褒めてもらうためには、ある程度仲間よりも上手な演奏をすればよろしい。

 では、仲間から褒められたりコンペティションで結果を残すには、仲間や審査員を唸らせるような演奏をすればよろしい、と云うのは言うまでもないことである。

 では仲間や審査員を唸らせるためには、具体的に、どのような演奏をすればいいのだろうか。

 完璧な演奏だろうか。

 では、完璧な演奏っていったいなんだろうか。

 欠点のない演奏だろうか。

 で、欠点と云うけれど欠点とはいったいなにか。

 その他、以上のような問いは、まださらに延々と続きそうである。

 さて、ここまで書いたことは常に他人からの評価についてのことである。

 では本人の内的判断はどうだろう。

 我々にとっても第3者の評価は勿論大切であるが、演奏者自身の自己評価が最悪では第3者がどう褒めようとも嬉しい気分にはなれないどころか、あらぬ被害妄想まで抱いてしまうものである。

 例えば、自分の思い通りに演奏できたかどうかを判断の基準にするのか、以前上手くいかなかった要素や部分が今回は上手くこなせるようになったのか、これだけ頑張ったんだだから自分を褒めてあげたいとか、とにかく一生懸命に弾いたとか、速く弾いたとか、ミスがないとか、よく歌うことか、それ以外のことなのか、などの基準によって自己採点は変わってくるだろうことは勿論当たり前のことである。

 だが、演奏者自身の多くは、自分の演奏を細かく評価できない場合が多い。

 それは、必死で弾いたために、自分がいったい何を仕出かしたのかを覚えていない場合が多いからである。

 自分のしたことの記憶がなければ、自己評価を下すなんてできようはずがなく、それがなければ他人の評価を当てにするしかなく、結果常に他人の目を気にするようになって、しまいには自分のすることの何一つに自信が持てなくなる、と云う悪循環が生まれるだろう。

 自分自身に自信が持てなければ、常に他人と云う没個性の集団の意見を知ろうとするようになって、その結果いい意味では情報を常に集めようとするだろう。

 だが当然彼は常に何の手応えも持てないために、手元も足下も寒々しい状態になるだろう。

 で、我々はいったいどういう演奏をするべきだろうか、と云う問いに対する答えとして僕が云えることは。

 自分は、どう生きたいかを見つめることだ、と意味不明のことを云ってみたりする。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

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