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2010.02.19 (Fri)

重い頭で思うこと

 例えば、セーハができなくて悩んでいる人が、「何度やってもいい音が出ない」などと愚痴をこぼすばかりで、指が痛いなどを云うための口は活発に動くけれど、実際に弦を押さえる指と、弦を弾く指を動かさないようでは、天地がひっくり返っても上手にできるようにはならない。

 「できない」と云い、うーんなどと唸り声を上げながら毎週ロマンスの前半をしどろもどろに弾く人が、ある日突然艶のある音で旋律を奏で始めることがある。勿論セーハをする部分になれば相変わらず呻き声を上げるし、ギターからはぱさぱさした音しか出てこないのだけれど。でも今のままの練習を続ければ、彼はもう少しでセーハの感覚を身につけることができるだろう、と思う。

 「何となく弾ければいい」「自分は一生音痴のままだ」と真顔で云うある人は、やはりとても効率の悪い、手際の悪い練習ばかり繰り返しているけれど、自分の欠点をしっかり把握できているために、また実際出来るだけの時間を使って練習しているようで本当に微々たる進歩であるけれど、確実に進歩している人がいる。

 そう云う彼らは、数的に見ると多くないだろうと思われる。何故なら彼らは、なり振りかまわず上手になろうとしているからである。我々は他人の前でなり振りかまわずに行動できるほど、殊に小心者の日本人であれば尚更、公衆の面前でなり振りかまわないことはなかなかできることではないから。

 大概は、なり振りを気にし過ぎるために、肝心なところを見落としてしまう人が多いからである。

 「好きこそものの上手なれ」と云う諺があり、「下手の横好き」と云う諺がある。

 一方は、上手になる人のことを云い、他方は上手にならない人のことを云う。

 傍目に見て、そのふたつのタイプを間違いなく区別できるか、と云えば、「できる」と云う答えと「できない」と云う答えのふたつが考えられる。

 できると云う答えの理由は、気をつけるべきところをしっかりと気をつけることができるか、などと云う条件を満たしているかどうか、を確認すればいいからである。

 できないと云う答えの理由は、人は常に変わるからである。悪い練習をしている人あっても、何かがきっかけになってみるみる上達する場合があり、逆にきちんとした方法で練習していても、何かがきっかけになって練習自体に嫌気を感じたりするかも知れないからである。

 誰かのようになりたいと願う人は、とても多いかもしれない。

 ただし、そのなりたい人が具体的に何をしているのかを知る人は、それほど多くないように思われる。

 故に、ある人はなりたい人と同じ楽器を買って、備品もできるだけ同じ物を揃えようとする。

 同じ物を持てば彼と同じようになれると信じているかのように。

 だけど、誰かになることは決してない、と云うことを我々は知っているはずである。

 我々は、どう頑張っても我々でしかないのだ。

 良いところも悪いところも、得意なことも苦手なことも含めてすべてが、我々なのである。

 その個性を出発点にして、できるだけ理想的な自分になれるように努力するしかないだろう、と思う。
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